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ITコーディネータ 針生徹 の blog
開会式

美術館なんて滅多に足を運ばないし、ましてテープカットまでやるようなオープニングセレモニーなんて初体験。
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着くなり応接室に通され、館長や宮城県教育庁次長とか新聞社やテレビ局の事業部長と名刺交換。渡された式次第には来賓挨拶としてワシの名前が載ってる。え?そんなの聞いてねぇぞ?

ワシが親父について語れるのは以前ブログに書いた家系図仙台屋敷その2その3その4)の話ぐらいしか無いんだよね。

憶えているうちに今日喋ったことを記録しておこう。
針生一郎の長男、徹です。おはようございます。

私が子供の頃はほとんど家に居ない父でしたが、偶に夏休みとかに出張に連れて行かれた記憶があります。日頃の罪滅ぼしのつもりだったんでしょうかね? だけど、どこ行くかって言えばこういう場所ですからね。彼が仕事してる間一人で待ってろって、今回展示してあるような作品を小学生が見て何か感じて好きになるか? って、無理でしょ。

そんな訳で、親父とはずっと距離を置いてきたんで仕事とか交流関係について語る物は無いのですが、彼が当地、仙台で生まれ育った家が味噌醤油の醸造業を営んでいまして、そこを私が継いだ形で仙台に移り住んだという因縁があるので、その家を紹介します。

昔、親父が「お宅の家系図を買いませんか?」という怪しげな勧誘に乗らされたことがありまして、元は桓武天皇とかあって、適当な系譜の末端にウチの名前を差し替えて書き込んだだけじゃないかと思っていたんですが、今はネットで全部調べられるんで当たってみますとまんざらウソではないようです。

桓武天皇の孫だか曾孫が前九年の役で関東に渡って三浦氏を名乗り、頼朝の奥州藤原氏攻めの功労で会津を与えられて葦名家を興し、十代目が家督を弟に譲った後に生まれた子供がもう葦名は継がないので針生という姓を名乗ったのが始まりとのことです。どうして針生としたのかは解りません。針の筵のような人生という意味なら頷けるような気もしますが…

葦名が伊達に負けて、と言うより弱体化して吸収合併されたようなもんですが、針生も仙台へ連れて来られまして、腐っても天皇直系の元幕臣ですから準一家扱いという待遇だったようです。正宗公が隠居して青葉城から若林城、今の宮城刑務所の場所に移ったときに仙台城下の南の玄関は広瀬橋の河原町となり、夜は奥州街道の門を閉めていたそうで、その門の鍵の管理を任されたのがウチの本家なのです。

で、一郎の祖父だから江戸末期だと思いますが、本家の次男坊が隣の敷地で味噌醤油醸造を始めました。河原町というのは六郷七郷とか名取辺りの穀倉地帯から集まる青物市場があったので、街中の武家や荒町鍛治町の職人さん相手に、そこそこの商売になったようです。私が子供の頃でも敷地の中をトロッコが走ってたぐらいで、従業員と言うより奉公人を十人ほど使っていました。

家も小さいながら、東京下北沢の借家育ちの私から見ると忍者屋敷かと思うような造りでしたね。三和土の店舗を上がると帳場があり、その奥が居間兼食堂、と言うか、商家ですから人が始終出入りしてる吹き抜けのホールみたいな感じでしたが、その中空に扉があったりして、天井からぶら下がった絡繰り梯子みたいなので上り下りしてたようです。

庭にあった白壁の土蔵は銀行の金庫室みたいな厚さの扉で、金銀小判ではなく黴臭い骨董品しかありませんでしたが、都会の子供には異次元の入り口でした。その奥には岩を積み上げた蔵、3階建てぐらいの高さのが三棟、そして一番奥に醸造工場がありました。薄暗い蔵に高さ 3m ほどの木桶が並び、強烈な匂いと大釜の湯気の光景を蜃気楼のように朧気に憶えてます。

大正十四年生まれの親父がこの家で育ったのは激動の昭和初期だった訳ですが、そういう時代に旧制一中から第二高校、東北大と進んで多くの人と出会い、その後の生き方を決めるような色んなことをやれたのは、勉強もできたんでしょうけど、当時の東北にしては経済的に余裕があったであろうこの家のお陰なんです。

親父は長男ですから当然そこを継ぐことを期待されていたんですが、東大大学院へ進んで上京した親父はそのままヤクザな道へ入ってしまいました。

読書会に来ていた長崎の娘を拐かして懇ろになっちゃって、すぐに姉が生まれたもんですから食っていく為もあったのでしょう、色んな仕事を手掛け、それが評価を得て名前が売れてくると、最初は仙台へ戻ってくると期待していた祖父母も諦めて味噌醤油屋は末の弟に継がせたのです。

その叔父が 30 年前の宮城県沖地震で蔵が倒壊したりして苦労した後に亡くなりまして、遺族がもう商売はやめると言い出したとき、「じゃぁ俺がやる!」と親父が言ったらしい。しかし、その「俺」ってのは実は息子の私のことだったんですよ。

自分がやりたい道を選んだことで弟に苦労させ先に死なせてしまったという負い目なのか知りません、あるいは、自分の今がある原点としての味噌醤油屋が消えてしまうのは納得できなかったのでしょうか。

だったらてめぇでやれよ、って話なんですが、実は今回の展示品の中に粟津潔さんがデザインしたウチの味噌・醤油のラベルの原稿があるそうで、私は聞いたことなかったし、それを貼った商品も実現しなかったのですが、親父も自分なりにやれることをやろうとしていたんですねぇ。

結局、店を継いだ息子の私の方も、親父の血を引いていたようで、やはりヤクザな道へ走ってしまったんですけどね。店を立て直す為に勉強した筈のコンピュータの知識でいくつかの企業のお手伝いをしているうちにそっちの方が忙しくなって別の会社を作りました。

味噌醤油の方は同業者に製造を委託し、販売のみを祖父の時代に書生として入ってそのままずっと働いてくれた番頭さんみたいな人に暖簾分けをして、東日本大震災があった 2011 年 3 月まで営業を続けました。震災の影響ではなく、年齢的に引退ということだったんですが、その前年に亡くなった親父の目の黒いうちは営業していたんで、まぁ義理は果たしたかな、と。

二十歳で終戦を迎えた親父の胸中は推し量れませんが、家業継承は選択肢と言うより既定路線という前提で学校行かせて貰った訳ですから、それなりの葛藤はあったんでしょうね。でも、晩年と言うか、お袋に先立たれてからのお金の管理とか見てると、この人に商売やらせなくて本当に良かったと思ってます。

以上、針生一郎の足跡として息子が語れる唯一の接点のお話でした。

最後になりましたが、今回の展覧会を企画・開催してくれた宮城県美術館はじめ関係者の皆様、そして本日ご来場頂いた皆様に改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
いやぁ文字にしてみると長いねぇ。道理で疲れた訳だ。
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こういう場でこんな話をする人は珍しいのだろうけど、初めて会う何人かの観覧者から「あの挨拶とても良かったよ」と言われてホッとしている。
# by harryblog | 2015-01-31 17:53 | Family | ↑Top  
針生一郎と戦後美術 - 宮城県美術館 1月31日~3月22日
明けましておめでとうございます。

宮城県美術館でこんなのをやってくれるらしい。

わが愛憎の画家たち ― 針生一郎と戦後美術 - 宮城県公式ウェブサイト
会   期:2015年1月31日(土)--3月22日(日)
休   館:月曜日
料   金:一般1,000円,学生800円,小・中学生,高校生400円
主   催:宮城県美術館,読売新聞社,美術館連絡協議会,ミヤギテレビ
協   賛:ライオン,清水建設,大日本印刷,損保ジャパン日本興亜
助   成:芸術文化振興基金


アヴァンギャルドを見つめつづけた反骨の評論家の足跡

仙台市出身の針生一郎(1925-2010)は、文芸評論から出発しましたが、1950年代に刊行された雑誌『美術批評』に芸術論や展覧会評を寄稿して注目され、中原佑介、東野芳明とともに“美術評論の御三家” と呼ばれる存在となりました。戦後、美術が自律した芸術表現として純粋性の追求に向かう潮流の中で、針生は一貫して「社会と人間」という視点をもって、作家たちの表現行為と作品を批評してきました。そして、行動する評論家として、晩年までさまざまな文化運動にも関わり続けました。
現実を見据え、そこに前衛としての芸術家の在り方と創作の意義を問い続けた針生の思想と活動は、敗戦から今日に至る日本の美術史に、ひとつの地下水脈を形成してきたといえましょう。この展覧会では、主に1950~70年代に針生が関わった芸術運動や展覧会に焦点をあて、著書『わが愛憎の画家たち』などで論評した作家と作品を紹介し、ひとりの評論家の視線を通して戦後美術史を再読します。

主な出品作家:
岡本太郎、香月泰男、鶴岡政男、山下菊二、河原温、勅使河原宏、池田龍雄、中村宏、小山田二郎、斎藤義重、桂ゆき、今井俊満、菅井汲、山口勝弘、篠原有司男、赤瀬川原平、高松次郎、立石紘一、岡本信治郎、菊畑茂久馬、宮城輝夫、丸木位里・俊、横山操、中村正義、片岡球子、朝倉摂、粟津潔、磯崎新 ほか
関連事業として、映画「日本心中」上映や美術講座もあるようです。
(上映日1月30日(土)とあるのは誤りですね。正しくは1月31日(土)です)

機会がありましたら、ご覧になってみてください。

チラシ
# by harryblog | 2015-01-18 17:22 | Family | ↑Top  
回顧
前回更新からもう1年でっせ。時の流れは残された人生が短くなるほど速くなるようだよ。

今年も、春までは横浜、夏まで羽田、秋は塩竃、そしてこの冬は栗原。と、あちこち流れ歩いているんで、多くの人と出会い、それなりにいろんなことがあった筈なんだが、ブログなどに記録していないと憶えちゃいられないね。

微かに残る呟きを拾ってみると、先月はこんなことがあったらしい。
  • 人生初の救急車だん。
  • 長男君に呼ばれてサッカークラブの納会に顔を出したんだよね。
  • ビールジョッキ2杯とウィスキー4~5杯でお開き。若い衆とオンっぁんグループはそれぞれ二次会へ、ジジイグループはワシ一人なんで地下鉄の駅へ。
  • なかなか電車来ないから柱に凭れてしゃがんでまってた。
  • そろそろ来るってアナウンスに立ち上がったところまでは記憶ある。
  • 次の瞬間、どうも周りが騒々しいと目を開けたら知らない顔が5~6個輪になって至近距離から覗き込んでいた。
  • 「なんじゃい、おまいら?」と起き上がろうとしたら「今駅員に救急車呼ぶように言ったから動かないで」と制止された。
  • 頭が痛いのは毎度のことじゃよ。何を騒いでおるんじゃ? と可笑しかったんだが、車椅子に乗せられるときに倒れてた辺りを一瞥したら…そりゃぁ騒ぐよなぁ。
  • 車椅子からストレッチャー、そして救急車の中は映画の世界ですな。自分は動いていないのに、周りの景色が流れていく。
  • 一軒目では「そんな酔っ払いは見せしめに放置して殺せ!」と断られたようだが、やはり日頃の行いでしょう、ニ軒目で受け入れOKでた。いやこれ、マジで重篤だったらヤバイって。
  • 救急車はね、寒かったです。あと、止血バンデージ巻かれたら傷口が痛ぇのなんのって。サッカーの試合でアレ巻かれて復帰するけど、ありゃ興奮して気にならないだけだよ。こっちは酔いが冷めて正気に戻ろうとしてるところなんだから、もうちっと優しくして欲しいぜ。
  • そんなに遠くは無い筈だし、サイレン鳴らしてるんだからすぐ着くと思ってたんだが、身体がどんどん冷えていく。あれですか?霊安室に近い環境にしておこうと。
  • やっと着いてストレッチャーに寝たまま救急扉が開くと、呼び出された奥さんと次男君の姿が目に入る。いやぁ面目無い。
  • と掛ける声も出ないまま処置室へ。既に血は止まっていたが、「切れてますんで縫うと言うかホチキスで留めます」だとさ。「ちょっと痛いですが」って、ホチキスというのは比喩かと思ってたら、本当にあのまんま、文房具でした。

製品紹介 | スキンステープラー


麻酔もしないで皮膚にぶっとい針を打ち込むんだから相当痛いけど、一瞬だけだし、抜糸ならぬ抜針するまで一週間、シャンプーのときブラシでゴシゴシ洗えないぐらいで全く気にならずに日常生活できた(翌々日には2時頃まで呑んだし)んだから便利になりましたねぇ。これなら安心してまた頭カチ割れますな。
  • 目撃者によるとホームの床にヘディングしたようで、音と出血は派手だったらしいけど、ホチキス4針で済みました。CT も撮られたけど、中身無いから無事のようです。
  • 要するに立ちくらみなんだけど、崩れたバランスを支える筋力が落ちてるのでしょう。脳内スピードと身体の反応も合ってないから、雪道の運転と同様「急」が付く動きは避けるべきだと思いました。
いやホント、何がショックって、倒れた瞬間を全く憶えてないってことなんだよな。気が付いたら血の海に寝ていた、なんてホラーすぐる。
  • ホームドア付いてるから線路は落ちないけど、倒れ場所によってはもっと酷いことになってたかもしれませんね。
  • どこでも転ぶ可能性はあるし、人が騒いでなかったらそのまま眠ってしまうかもしれません。この程度で済んだのを教訓にして気をつけます。
その後の忘年会シーズンの行動を見るととても教訓にしているとは思えないが、とにかく今はすっかり元気に呑んでおります。良かった良かった。

対応してくれた乗客、駅員、救急隊、病院の皆さん、ありがとうございました。

では、良いお年を。



# by harryblog | 2014-12-27 22:36 | Diary | ↑Top  
プライスレス
承前

十三というヤバい街に投宿したんで、それなりに楽しそうな年越しもありそうではあったんだが、さすがに娘と二人で来た旅行じゃそっち方面は自粛しといた方がいいだろう。

湯に浸かって旅の疲れを落とし、ユイちゃんがパパさんのタクシーで乱入したり春子とひろ美の競演を TL 眺めながら呑んでると異国に一人で居ることも忘れてしまう。テレビとツィッターって相性いいんだな。普段テレビ見ないから TL もスルーする方が多いんだが、リアルタイムに両方見てると、なるほどバルスが世界一になるのも頷ける。

と、うつらうつらしてきたが、このまま墜ちる訳にはいかないんだった。

パッチ履いて革手袋とネックウォーマーと毛糸の帽子という完全装備で出陣。会場から 20 分ぐらい歩いたところに 24 時間営業のロイホがあるのは調べてあったが、今日は終電は無いみたいだから丁度終わる頃に着けばいいだろう。
  • 会場前、娘や恋人を人質に取られた男どもが救出に集まっていた。どう見ても人質はこちら側としか思えないが。 posted at 2014年01月01日(水) 00:52:08
クルマで迎えに来てるお父さんはともかく、新年カウントダウンの瞬間をアイドルに奪われた彼氏達の気持ちは如何許りか。それでも健気にお迎えに来るところが泣かせるぜ。

午前一時過ぎ、興奮した女達が次々と吐き出されてくる。数万人も居ればピンキリなんであるが、中にはキミはステージの向こう側でもおかしくないだろってぇ上玉も少なくない。そんな彼女達をここまで夢中にさせるアイドルってやっぱ凄いんだな。

サッカーの試合でも終わってから盛り上がるコアサポは多いようだが、彼女達も会場前広場で気勢を上げてなかなか帰ろうとしない。確かにこいつらこのまま街に戻したら渋谷スクランブルになっちゃうからここでクールダウンしてから帰った方が世の為だ。

末娘君はメールしても返事が無いし、電話も繋がらない。女性ばかりだし、何事も無い筈と思いながらも、連絡付かないとやはり不安になる。そんな親の心子知らず。単にスイッチ切れただけで、この数万人の最後に出てくるのだろう。
ふぅ… 満喫しましたか? クールダウンに付き合ってやれなくて悪いが、もうワシはお役ご免でしょ。そろそろ寝かせてくださいな。
  • 日本シリーズで最後にマー君が登場したとき、東北の人間は打ち震えた。誰かの思いを背負って闘う姿は美しい、と。 そう考えればこんな新年も捨てたもんじゃなかろうて。 posted at 2014年01月01日(水) 09:49:06
プライスレスな体験がその後の人生に大きな意味を持つことを信じているけど、実はそれをさせてくれた人が居るんだってことに逆の立場になって初めて気付く。なんだ、プライスレスな体験をさせて貰ったのはワシの方だったか。
# by HarryBlog | 2014-01-03 07:31 | Family | ↑Top  
謹賀新年
明けましておめでとうございます。

新年は大阪で迎えました。こおゆう↓訳で。
  • 末娘君からメール。アイドルの年越しコンサートのチケットをネットで買ってくれ、と。指示されたサイトで無事購入できたのは良かったが、さらに当日会場まで連れて行け、だと? 大阪なんですけど… posted at 2013年12月05日(木) 06:53:34

  • 当然チケットは一枚。ワシゃ見たくもないし、オッサンが入れるような場でもなかろう。異国の地でご主人様の帰りを一人待つポチとして新年を迎えることになるのだな。 posted at 2013年12月05日(木) 06:56:22

  • まぁどうせ酒喰らって紅白見るだけならどこでも一緒ではあるんだが、その為に貴重な正月休みが二日潰れる。川崎→仙台→大阪→仙台→川崎って、移動だけで終わりじゃんかぁ。 posted at 2013年12月05日(木) 07:05:33

  • 来年も社蓄および子蓄として粉骨砕身する所存にござりまする。 posted at 2013年12月05日(木) 07:08:02
LCC は売り切れだったが、21 前割でも新幹線より安かったので飛行機にした。

旅先は色々調べて予約したんだが、地元の空港の駐車場が満杯とは想定外。いつもの早めに着いてからのんびりするというバッファが効いてギリギリ 10 分前にチェックインできたが、1時間以上待ってる間は気が気じゃなかった。始まる前に終わったら一生恨まれるなぁ。次の便も満席だろうし、120% 新幹線の立ちっぱなしも覚悟したよ。
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なんとか伊丹に着いて、まずは粉物を肴にビール。ホテルで荷物を解き、開演は 22:00 なんで一眠りできるかと思ってたら、「ヤバい、もうこんなに並んでる!」とスマホで情報収集してた末娘君。この機会にしか売らないグッズ争奪戦が既に始まっているらしい。

それまではいちいち後ろを振り返らないと逸れてしまいそうになるほど鈍い動きだった末娘君がいきなりスイッチ入って今度はワシが置いていかれる。最寄り駅で降り、同じバッグを抱えた娘達が早足で向かうのを見るともう駆けだして見えなくなってしまった。
  • 全く知らない世界。JC,JK とオバサンばっかりかと思ってたら、圧倒的多数は現役バリバリのギャル達だった。現実の方が楽しいんじゃないかと思うんだが、偶像崇拝は別腹なんだろうねぇ。 posted at 2013年12月31日(火) 17:40:16

  • で、グッズの列に並んだ末娘君を待ってるんだが、もう1時間以上経ってるぞ。 posted at 2013年12月31日(火) 17:40:38

  • 買い終った人の話を聞くともうほとんど売り切れらしい。昼過ぎから4時間並んだとか、ライブとは別のイベントのよう。 posted at 2013年12月31日(火) 17:43:58
酔いが醒めてきて寒いです。こんなとこでワシは何をやってるんだろう?
  • 年末に会う人会う人に大阪行きの経緯を愚痴ったんだが、「でも針生さん、顔が愉しげですよ」と全員同じ反応だった。娘と旅行だけならそうかもしれんが、大晦日に異国で寒風の中で待ってみろってんだ! posted at 2013年12月31日(火) 17:47:09

  • 「どうせなら一緒に観ればいいのに」とも言われたが、これに混じるのは罰ゲームっつうか絶対ムリです。 posted at 2013年12月31日(火) 17:47:38

  • 女ばっかり5万人でっせ~。 スタンディングで踊るぐらいなら酔っ払えばやれるかもしれんが、バラードでペンライトなんて死んでもできまへん。 posted at 2013年12月31日(火) 20:09:24
ようやく戻ってきた末娘君。会場内のバーでビールを補給して別れる。ワシゃホテル帰って風呂入ってビール片手に紅白だ。
  • っつうことで、娘は置いてきた。返して欲しくば除夜の鐘が鳴る頃に入り口の前に一人で立ってろ。 posted at 2013年12月31日(火) 20:12:48
続く…
# by HarryBlog | 2014-01-02 09:20 | Family | ↑Top  
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針生 徹

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