一日中 PC に向かっているようなワシの職種でさえ、毎日の仕事や生活に必要な情報のうち画面で検索できる物なんて意外に少ない。
だから手帳やノートは手放せないが、後から自分のメモを読んでも何のことか判別できないことも多い。いやその前に、いつどこに何を書いたかを覚えていられなかったりする。
それでも書くという行為を経た物はまだいい。一応手掛かりは残るし、それを判読しようと格闘するうちに思い出すこともある。
ところが、流れ行く日々の中で次々にメモリを上書きしちゃうような事柄だともう痕跡すら残らないのだね。
まず、会った人の名前を忘れる。
顔のイメージは見たことがあると察知はするんだが、どこの誰だったか、遂に不明のまま会話を終えることもある。ま、どうせ話の内容も揮発性なんだから名前を思い出すことにどれほどの意味があるか。
貰った名刺の裏に会った日時や状況、話した内容等をメモするなんてことをやってた時期もあったが、それに頼ってしまっていよいよ脳が空になるし、そういうのは義務化するととたんに面倒臭くなって続かないもんだ。
忘れちゃうってことは自分にとって優先度が低いのだ、と割り切ってしまおう。ごめんなさい。
会話の内容も、自分が喋ったことすらすっぱり忘れる。都合の悪い話は特に。
これも、限りあるメモリの有効活用ってことで、明日へ進む為には必要なんだよな。
辛かったり苦しかったり嫌な思いをしても、酔っ払って道路で寝れば自分の所為だと納得できて、また頑張ろうという気になれるのだ。
まぁ人生楽しいことの方が多いのだから全てを蒸発させちゃ勿体ないな。整理して記録するのは面倒だけど、スナップショットぐらい残しておくか。
と、押し出された記憶の断片で出来上がっているのがこのブログなのだな。