ITコーディネータ 針生徹 の blog
カテゴリ:Memoir( 16 )
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29 年前
ワシ自身は南青山の雑貨屋でローラースケートなどを売っていた頃なんで全く知らないのであるが、ワシが仙台で暮らすことになる発端はこれだった。
1978 年(昭和 53 年)6 月 12 日 17 時 14 分 44 秒
宮城県沖でマグニチュード 7.4 (震度 5) の地震が発生!

仙台市域で死者 16 人、重軽傷者 10,119 人、住家の全半壊が 4,385 戸、部分壊が 86,010 戸

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親父の生家である味噌醤油屋の工場は壊滅、屋敷も大黒柱がひび割れ、岩倉もところどころ崩れ落ちて停めてあったクルマをペシャンコにしたとのこと。

それ以前から、食生活の洋風化、大手スーパーの全国展開によるナショナルブランドの進出などによって価格競争が激化して経営を圧迫していたところにこの災難。かろうじて躯体の残った岩倉を補強し、特別融資で最低限の設備は再導入して営業を再開したが、入院中の祖母に代わって復旧の陣頭に立った叔父の心労は想像を絶するものだったろう。

街にはもはや傷跡も残っておらず、彼が残してくれた物も全く形が変わってしまったが、この地での商いを引き継いだ者として、この日は忘れないようにしよう。
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by HarryBlog | 2007-06-12 17:14 | Memoir | ↑Top  
太古の PC 夢物語
OS/2 の話題で PC の歴史を想い出したので、昔書いた物語を載せておこう。

超長過ぎ危険
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by HarryBlog | 2005-12-29 21:37 | Memoir | ↑Top  
回顧録 (14) :特効薬
 前回まで:下請け

「全店舗止まっています。Harry さん、昨晩何か仕込んだんでしょ!」

と、いかにも外資系キャリアウーマンでございっていう女性に仁王立ちされて言われても、二日酔いの頭はまだ回らないんですけど、たぶんワシが犯人なのは自信がある。

小売チェーン店のシステム、営業時間が 20:00 までだから、それから店舗処理したデータを本部へ集信して全処理終わるのが早くて 1:00 頃、開発が遅れていたプログラムをリリースして業務終了。

「まだ間に合うな」と街へ繰り出すと、狭い田舎ではお客さんとも遭遇することも多い。お互い遊びに来て酔っているから無礼講である。

ワシは呑み屋街の裏町に部屋を借りており、毎晩新規開拓も怠りはなかったつもりだが、さすがにジモティには敵わない。「面白い店へ連れてってやる」と言われれば付いていくしかない。なにしろ相手はお客様なのである。

普通のスナックなのだが、危なそうな雰囲気が漂っていた。茶髪のアホそうな娘を膝に乗せて、ミニの太股を撫でている客も居れば、ブラジャーを頭にかぶって踊っているオヤジも居る。

昔のパッポン・タニヤを想い出すのぅ。これですよ! これがあるからきつい仕事にも耐えられるのだよな、と思いながら、バカ女と会話してるうちに疲れちゃって、中年の欲望と睡魔の戦いはあっさり決着がついてしまった。

なんか股間が涼しいな… と目を開けるとバカ女どもに囲まれて、なんとワシのムスコが顔を出しているではないか!

一緒に行った人たちが笑いながら帰り支度をしている。晒し者にされて腹も立ったが、それより眠い! また意識を失ったままなんとか部屋へ辿り着く。

ああいう店で眠っちまう人も珍しいんだろうな。女どももプライドを傷つけられたのだろう。聞けば、ママが自らチャックを降ろして摘み出したんだそうだ。ちょっと勿体ないことしたような気もするなぁ。

で、遊んだ翌日、しかもお客さんと一緒だった訳だし、二日酔いと言うよりもまだ立派に現役で酔っているまま定時に客先へ入ったのであった。

「このままでは店を開けられません!」 女史が金切り声で叫ぶ。

心配するな! 原因は昨日新発売したワシのプログラムと明白であり、対策はそれを除去し、処理前の状態へ戻すこと。簡単じゃん。

しかし、開店時刻まで 30 分。1店舗当たりに許されるのは 30 秒だけだ。

全 50 店舗分のウィンドウを一斉に開くのは無理だったが、半分ぐらい並べて千手観音のように次々と動かすブラインドタッチの指先の動きは、当時の ISDN 64k を遙かに越えていた。キーボードバッファに溜め込んだ指令は、一回りしてくるうちに完了していたのであった。

ふぅ、酔いも一気に醒めたぜぃ。
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by HarryBlog | 2004-10-24 19:57 | Memoir | ↑Top  
回顧録 (13) :下請け
 前回まで:コンピタンス

日本の中小企業のほとんどは何らかの「下請け」であり、そこからの脱却が叫ばれているが、役割分担としてはそんなに悪いシステムではないと思っている。

全てを備えた「ゼネコン」の社員となるのも一つの生き方だろうが、専門領域の職人として独立した会社の方がパフォーマンスが良い場合が多いのだ。ただ、それを巧く使えるプロデューサーが極端に少ないのが問題であるけど。

どうも、金の流れの順序を上下関係と勘違いしている人が多い。受注側よりも発注側企業の規模が大きいから、なおさら看板だけで威張る担当者ってのが増えてしまうのだなぁ。

そんな下賤には「てめぇでやれよっ!」と言ってやりゃぁ黙ってしまうだろう。自分で出来ないからこそ、こちらへ依頼してきているのである。もちろん他社へ流れてしまい、二度と受注できない可能性もあるが、そんな所は相手にする必要も無い。比較優位のコンピタンスがあれば、そういうことにはならないだろうし。

元請けを通すのは、リスク分散の意味も大きい。特にシステム開発のように長期間経営資源が固定されてしまう業種の場合、入金までの期間・金額を担保できる資金力が無いと大きな仕事は出来ないことになってしまう。

当然、元請けには大きく抜かれるので、自社で直接エンドユーザーから受注するよりも利益率は悪くなるが、販売管理費も含めて総合判断すべき物であって、短期の数字ばかり追うバブルならともかく、生業として続けていくつもりならば分相応を弁えておかなければならない。

個人の報酬にしても同じことである。IT業界には人月単価という悪しき風習があり、手に職のある技術者が SOHO とかフリーランスとして独立すると、企業勤めの給料に比較すれば2~3倍の収入増になるだろうが、これはあくまで「売上」なのだ、ということを忘れちゃならない。

プロスポーツ選手とチームとの契約を類推すると分かり易いかも知れない。常にパフォーマンスを上げていかなければならず、その為の仕込み・維持費用、および怪我等で長期離脱しても食べていけるぐらいの蓄えも考慮すれば、直接人件費の3倍ぐらいは当然、できればそれ以上の値段で売れるだけのコンピタンスを持たなければ回っていかないであろう。

この辺のコスト構造は業種・業態によってだいぶ異なるだろうが、いずれにしても事業をやるからには押さえておく必要はある。下請けとか元請けとか言う受注形態よりも、続けていける利益が残るビジネスモデルが重要なのである。

あり? 回顧録というよりは起業講座みたいになっちまったぞぃ。
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by harryblog | 2004-08-14 09:09 | Memoir | ↑Top  
回顧録 (12) :コンピタンス
会社を設立したばかりの頃は、お盆休みでも必死で勉強していたなぁ。

 前回まで:サービスイン

アプリケーション SE というサービスは飛び込み営業で売って歩ける物じゃないから、どうしても紹介・仲介が必要である。となると、まずは絶対的なコアコンピタンスを確立しなければならない。

中小企業の経営経験に加えてシステム設計方法論を身に付けた第一種情報処理技術者というのは、SE としての市場価値はそれなりに高かったようだが、さらに競争優位性を確保しようと、あるマシンのスペシャリストを目指したのである。

幸い、個人的な繋がりでそのコンピュータメーカーの業務を請け負ったのがスタートだったので、膨大・詳細な技術資料に触れられる立場だった。それらをとにかく片っ端から読み、実験してみて自分の物としていった。

一般的な業務システムではそこまで必要の無いレベルまで、好奇心も手伝って色々試してみる。日中は通常業務に追われているので、お勉強はもっぱら夜間や休日である。

お盆などのまとまった休暇は絶好のチャンスである。とは言っても、コンフィデンシャルは持ち出せないし、当時は自宅からリモートアクセスなど出来ないから、マニュアル類に限られるのだが、それだけでも結構な量である。

一通り読破し、内容の理解はともかく、どこに何が書かれてあるのか、インデックスを頭の中に叩き込む。顧客からの質問とか、自社業務でのケースを想定し、どういう要求にはどの技術を組み合わせると効果が期待できるか脳内シミュレーションを行うのだ。想像通りに出来た試しは皆無であるけどね。

こうして、鬼に金棒の技術力を会得したお陰で、緻密なマーケティングプランなんか無い成り行き任せでも仕事が来るようになった。

ただし、トラブった所の火消しとしてばっかりになってしまうのだが。
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by harryblog | 2004-08-13 23:02 | Memoir | ↑Top  
回顧録 (11) :サービスイン
エキサイトのリニューアル後の対応で想い出したので、回顧録の続き。

前回まで:設立

会社を作ってから2つ目の仕事だった。SIer の下請けで小売チェーン店の販売管理システム新規開発の案件である。

「一応、Harry さんも開店日には立ち会って下さいよ」

ワシは設計屋なので、開発後半はあまりタッチしていない。また、本部側の一部分だけの担当であり、店舗の POS は別の下請けが担当していた。

それでも要件定義時からさんざん苦労したシステムがサービスインするまでは見届ける責任がある。打ち上げもあるだろうから、一泊だけの荷物でホテルへチェックインして、開店前日の店へ向かう。

店員さん達が慌ただしく陳列の最終チェックをしている中、顔馴染みのシステム担当者と商品責任者がレジ周りで顔を見合わせ首を傾げている。

「なんかスキャンできないみたいなんですけど…」

読んでみた商品がことごとく弾かれる。背中に冷や汗を感じながらホストの端末を叩いてみると、マスターには間違いなく登録されている。

POS 側の PLU へ渡っていないようだ。連携部分はワシの担当ではないのでちょっと胸を撫で下ろす。

とは言え、このままじゃ明日店を開けられない。鳩首協議した結果、信じられないことに、誰も連携部分を手掛けていないことが判明した。本部側、店舗側それぞれオフラインでのテストしかしていなかったのである。

とりあえずバッチで転送し、PC チームへ委ねる。ほとんど手作業で変換してどうにか読めるようにはなったが、今度は価格がおかしいと言う。

ホスト側はパッケージのカスタマイズであった。どうやら特売価格設定部分がうまく働いていないようだ。…って、モロにワシの担当部分でねぇの!

現象は単純なコーディングミスが原因だったのだが、解析とテストを重ねてみると、設計にも致命的な漏れを発見してしまった。

隣が 24 時間営業のコンビニだったお陰で、おにぎりを頬張りながら 56 時間連続で端末にへばりついて完璧に復旧した。

画面がグルグル回って見えるほどに脳は冴えていき、最後はなんか開眼してしまったような高揚した気分で倒れたのだった。
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by harryblog | 2004-07-22 21:38 | Memoir | ↑Top  
回顧録 (10) :設立
久しぶりに回顧録の続き。

前回まで:イベント屋

会社を設立したのは平成元年、31 歳の時である。

当時は、今の一円起業特例と同様、最低資本金という制限が無かった。ウチはターゲットが中堅企業以上であり、対等な立場となるつもりで株式会社としておいた。

前の会社はワシの手を離れて回るようにしたし、SE という新しい事業も既に動き出していた。特別な想いがあった訳でもなく、なんとなく成り行きで作った会社であった。だから、社名もニックネームそのままという安易なものである。

とは言え、それだけで続けていけるほど世の中甘くないことは、それまで曲がりなりに5年ほど経営者をやってきた経験から痛いほど知っていた。

ただ、やってみなくては答は出ないのだから、プロフェッショナルとして 100% コミットする為に自分を追い込もうという意識があったように思う。

最近は起業というキーワードが流行っているが、会社でも個人事業でも「覚悟」を持って事業を運営していくのだ、という決意表明は重要である。

会社設立なんて驚くほど簡単だ。行政書士に依頼すれば全てやってくれるだろうし、会社を運営する以上役所との関わり合いは避けて通れないのだから、自分でやってみてもいい。

形式的な手続きはどうでもいいのだが、手順を踏む中でビジョンを具体化する第一歩を実感できるかも知れない。

さて、ワシの場合コアコンピタンスがはっきりしていたので、ターゲットも絞られる。ニッチではあるが需要は多く、競争力も高い、という手応えを2年間のメーカーとの仕事の中で得ていた。

株主の出資を得る為に大まかな事業戦略は描いたつもりだが、細かな計画はどうせその通りにはならないし、まずは獲得した仕事をこなす中で展開を考えていくしか無いと思っていた。

とりあえず、独身一人が食っていくだけの仕事をゲットして、出航したのである。
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by harryblog | 2004-07-11 10:48 | Memoir | ↑Top  
回顧録 (9) :イベント屋
そう言えば、回顧録が放ったらかしだった。

前回まで:ビジネスモデルチェンジ

ワシが会社を設立した 80 年代後期はバブルの真っ最中である。コンピュータはまだ高価であったが、ベンツに乗るのと同じようにステータスシンボルとして売れていたような気がする。

世界最大のコンピュータメーカーから新しいマシンが発表され、ショールームを開き、東北各地でデモやセミナーを開催することになったが、即戦力が足りない。大量採用して熱心に教育しているが、経営者と業務・システム担当者の両方と話ができる人材が必要なのだ。

という訳で、ワシに白羽の矢が立った。最初の仕事の実績とサッカー仲間の人脈のお陰だろう。いい仕事をすれば、買って貰えた時代だった。

営業推進センターという部署からの契約だった。仙台事業所にあるが、組織上は本社機構の直属だった。現場の営業、SE はどうしても取引顧客やセリング中の案件に掛かり切りになってしまうので、もっと広範囲・長期的なマーケティングの仕組み作りがミッションであった。

メンバーも雑多で個性的だった。技術・営業・業務上がりが各1名、シニアの SE 1名。PC 系 SE が2名。ホスト系 SE は新人2名。PC 系契約インストラクターが3名。ホスト系の業務委託でワシともう1名。

要は何でも屋である。一応ワシはパッケージソフトの環境設定とデモ担当なんだが、シニア SE はほとんど社内に居ないし、若手 SE では質問に答えられない事も多く、マシンや施設全般の管理だけでなく、営業のセールスサポートにも頻繁に呼ばれた。

営業企画も手伝う。企業データベースを色んな角度で抽出し、適当な、と言ったら怒られるが、それらしい企画をブチ上げる。予算が通ると、会場、講師、パートナー手配、DM 発送、社内告知等。面倒な事も多いが、それまで経験の無い事ばかりで勉強になった。

地方巡業は楽しい。セットアップから後片づけまで張り付くんだが、時間は決まっているし、終われば打ち上げと称する社内接待で各地の味覚を楽しんだ後、地場の担当者に連れられて怪しい街へ。

時代も良かったから、毎週どこかで何かしらやっていた。二人居た企画担当者がそれぞれ勝手に企画するんで、移動は大変だったけどね。

仙台事業所のワシの机も丁度国分町の灯りが見える位置だったんで、もうとにかく毎日吸い込まれてしまっていた。いい時代でそれなりに稼がせて貰ったけど、全て夜の街へ還元してしまったなぁ。
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by harryblog | 2004-06-20 06:37 | Memoir | ↑Top  
回顧録 (8) :ビジネスモデルチェンジ
前回まで:ウォーミングアップ

前回の会社へ新しいマシンの導入が決まったのは、結果的に見ればトップ会談が決め手になったようだが、交換条件のような形でシステム開発の仕事を斡旋され、それをワシが請け負うことになった。

岩手県の小さな村、急行八甲田で通い、土木作業員が寝泊まりする古い旅館というより民宿に泊まる。中には広い屋敷の空き部屋を利用したところもあり、部屋が広すぎてストーブが全然効かなくて震えながら寝たこともある。

4社 10 人ぐらいのプロジェクトだったが、何もかもが初体験で新鮮だった。業務も初めてだし、ユーザーの話を聞くのも興味深かった。岩手弁を解読するのには難儀したが。

徹夜も続いたが、若かったし、なんか次々にトラブルが起こるのがお祭りみたいで楽しんでいた。ワシが犯人のことも多かったのであるが、原因を追及して解決できたときは達成感がある。

なにしろ、それまではコンピュータを触るのはお勉強だった訳で、それでお金を貰う、それも味噌だったら毎日 200 個ぐらい売らなきゃ得られない売上になるし、利益率も桁違いってのが驚きだった。

当然それに見合う成果を上げなければならない。納期・品質を守るのはもちろんのこと、エンドユーザーが満足できるように最後まで面倒見たり、元請会社への引き継ぎドキュメントもきっちり仕上げる。

作業時間を考えたら大赤字だったが、当たり前のことをちゃんとやると評価は得られる。元請会社からも、そしてこの仕事をやるきっかけになったコンピュータメーカーからも、次の仕事の話が来るようになったのだ。

こうして、これで食っていける見通しが立ちそうになった。味噌醤油販売は既に従業員に委譲していたし、会社も不動産賃貸で安定収入を得られるようになったので、その地権者へ大政奉還し、その退職金で新会社を設立することにしたのだ。
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by harryblog | 2004-04-30 23:50 | Memoir | ↑Top  
回顧録 (7) :ウォーミングアップ
さて、連休に突入ってことで回顧録の続きでも。

前回まで:お勉強

知人の居ない仙台だったが、サッカークラブに入ったら、あっという間に 20 人以上の仲間ができた。その中にコンピュータメーカーの人が居た。

ワシが「夜間の学校でコンピュータの勉強をしているのですが、難しくてさっぱり分かりませんね」という話をしたら、「ウチのお客さんのところで実際に動かしてみたらいい」と、ある会社を紹介された。

実は、そのメーカーでマシンのアップグレードを提案しているのだが、海千山千の社長がなかなか首を縦に振らないので、内部に潜入してアジってこい、という密命を帯びていたのだった! (嘘だけど)

まぁ、丁度自分の会社を整理しようとしていたところでもあったので、勉強がてら、その会社に通った。と言って、対価は無いし、仕事を手伝う訳でもなく、単にコンピュータを触りに行っていたのだ。

一代で財を成し、東北にその人あり、と業界で謳われる社長で、60 歳を超えて好々爺のようだったが、さすがにビジネスには厳しかった。

でも、不思議にワシを可愛がってくれて、昼飯を一緒しながら色んな話を聞かせてくれた。ゴルフや呑みにも連れていってくれたり。

ついでに、そこの女性事務員に捕まえられてしまい、何故か今では同じ家に住んでいたりするのだが…

「 Harry 君よぉ、古くなったコンピュータはいずれ買い換えなきゃならんのは分かっている。ただ、メーカーはただ機械を売りたいだけで、それを使ってどうすれば儲かるのかなんて考えてもおらんのだ。そういう提案を持ってくるまではOKは出せんよ」

ワシも経営者のはしくれではあったので、この考えには賛同した。と同時にシステム内部も見られたので、自分なりに問題点や解決案を提示したのだ。

なんだ、ワシゃ 20 年前からITコーディネータやってたんじゃねぇかよ。
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by harryblog | 2004-04-30 22:30 | Memoir | ↑Top  
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針生 徹

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