【1】ここから 【2】始まり 【3】ファーストコンタクト 【4】吹き溜まり 【5】社交場 【6】脇道
【7】下北沢 【8】キーマン 【9】土曜の夜の天使達 【10】集会 【11】チェイス 【12】襲撃
【13】出頭 【14】釈放 【15】ディスコ 【16】黒い人々
70 年代後半、相変わらず暴走族同士の抗争は毎週各地で繰り広げられていた。
七里ヶ浜事件、大井埠頭事件などが新聞を賑わせるとさすがに警察も威信を賭けて取り締まりを強化するようになり、次々と検挙者を出したチームの解散宣言が報じられるようになる。それらの多くは偽装であったが、世間の目は確実に厳しくなっていた。
単に走りが好きなチームですら存続が危うくなる、共同危険行為禁止を含む改正道路交通法の施行を目前にした 1978 年春、下北沢へ大阪から一人の男が訪れてきた。
ヤサ男風であったが、ときおりサングラスの奧の目を鋭く光らせながら、柔らかな口調の関西弁で語る。関西も乱立するチームが過激な抗争を繰り返しているが、今は如何に生き残るか考えるべきであり、それには団結しか無い。関東と関西が手を結べば警察も簡単には手出しできないようになる、と。
ヤクザのようなシノギがある訳じゃなし、全国組織になったところで警察に対抗できるようになる筈も無いだろう、と今なら思うが、滾る若者の血を抑え付けようとする権力におとなしく従うようなら族などやっておらず、話を拒む理由は無かった。
数週間後、揃いの紺の特攻服に身を包み、クルマ3台に分乗して夜を徹してやってきた十数名を環八千歳台で迎える数百台。
「神風連合」 この名前が関東の族にとって関西の代名詞となったのである。
実は、Emperor にとっての CRS と同様に、当時は日韓連合というのが関西では最大規模であり、彼等はそこと敵対していたようである。つまりそれぞれのテリトリにおいて数の上では業界2位だった同士が提携することでトップに躍り出るという意味もあったのですな。
やがてはこの生野の男達を中心とした神風が勢力を伸ばし、西日本狂走連盟という大同団結となる、らしいのだが、それはまだ先の話であった。
(
続く)