ITコーディネータ 針生徹 の blog |
同級生の所でこんなネタが書かれていたことすら知らないまま二日過ぎていたのだな。
(*^。^*)DEBUしま専科 : ブルーシャトー 確かにここだと思うぞ。我々がお世話になったのは。 どんなお世話だったか、Bob の手記で振り返ってみよう。 Copyright © Bobby's bar All Rights Reserved. 万年予約担当のKが、日ごろの汚名挽回だと言わんばかりに電話してきて「おいっ、今度こそいい所が取れたぞ、その名も石打ブルーシャトーっていうんだ、行ったことないだろ」と興奮している。横文字に弱いのである。 全員半信半疑だったが、とにかく行くことに同意、またしても運命をKに委ねることとなった。 これは、ある年の、僕たちがまだ二十台前半のことである。 クルマ三台だかに分乗し、石打スキー場を目指した。いつもの苗場を横目に見ながら、みんなウキウキドライブだった。Kの話しでは、ブルーシャトーという名前を口にしただけで、ゲレンデにいる女性スキーヤーは例外なく僕たちに着いて来るという。ブスはどうやって断るか考えとけという。民宿の雰囲気に嫌気がさした、都会の女性は横文字に弱いという理屈である。 僕も、その話しを聞いて、「うーん、そんなもんかもしれないな」と思ったものである。一瞬、斑尾高原のペンションのことが頭をよぎったが、自信に満ちたKの横顔を見たら、そんな不安は消し飛んでしまった。 石打に到着。夜を徹して走ってきたので、クルマは真っ黒、僕たちも、ひと滑りする前に休みたい気分だった。はやく、高級リゾート・ブルーシャトーへ行こう。 かなり探したのだが、ホテルが見つからない。何回か道を尋ねるが、だれも知らないという。 Kが真剣な顔して公衆電話からホテルへ連絡、いま僕らがいる場所まで迎えに来てくれると言う。さすが高級ホテルだなと、Kは一人で納得しているが、みんなの表情にちょっぴり陰りが走ったのを、僕は見逃さなかった。 待つこと5分か10分、長靴に汚い黒いジャンパーを着た50過ぎのオッサンが登場、あれ?背広に蝶ネクタイの支配人が、クラウンかなにかで迎えに来るんじゃないの? オッサン、歯が抜けてて良く聞き取れないが、クルマをロックして荷物を持って来いと言う。やっと荷物を運んだら、そこにはなんと、貨物運搬用の雪上車が待っている。キャビン(人が乗るところ)は単座席で、僕たちはつかまる所もない荷台に、荷物を持って乗せられた。こんなの初めて。 雪上車は、文字通り雪に強く、急な斜面も難なく登って行く。雪降るなか、ガタガタ揺れる荷台で凍える僕たち。なんかこういうの、映画で見たな、あーっ、ホロコーストだ、アウシュビッツ捕虜収容所に護送されるユダヤ人たち。行く先にはこの世の物とは思えぬ地獄が待ちうけていることも知らない罪もない人々・・・ いまここで雪上車から飛び降りて逃亡したら、歯抜けの親父に鉄砲で討たれるかも知んねーぞと、降り注ぐ雪に顔をしかめながら考えた。虐殺されたユダヤの人々の心が身にしみる。 ふと現実に戻って周りを見ると、何とそこはスキー場のゲレンデのど真ん中であった。雪上車は遠慮もなく、石打スキー場のゲレンデを、混雑するスキーヤーを蹴散らしながら我が物顔で突き進んでいるのだった。カラフルなウエアに身を包んだスキーヤーたちから受ける、冷ややかで非難がましい視線に堪えながら、僕たちは雪上車の狭い荷台にひしめき、揺られ、収容所じゃなかった、ブルーシャトーへ運ばれたのだった。 ブルーシャトーは、積雪の中に埋もれるようにして、建っていた。地上7、8階の鉄筋建築だが、老朽化が激しい。 建物全体が、かなり斜めに傾いているように見えたが、斜面に建っているから地面が傾いていることが分かって少し安心した。 ロビーらしきところにはいると、3人ほどのフロントマンがいて、僕らの先客がなにやらひどく怒って文句を言っている。なにを怒っているのか知りたかったが、聞いてしまうと宿泊する気が失せると思い、近寄らなかった。 フロントマンは、一応ワイシャツにベストを着用しているが、統一ユニフォームではない。僕たちの応対に出たオッサンは、趣味の悪いえんじ色のベストに黒ぶちの眼鏡をかけていた。よく見ると、眼鏡のツルが折れたらしく、セロテープでぐるぐる巻きにしてある。一流ホテルの従業員らしからぬ風体である。 僕たちは来意を告げ、東京から来たブルジョアの子息の集団であることを強調した。ここはブルーシャトーなのだ。 セロテープ親父が、となりの同僚に声をかける。「おい、部屋あいてっか?」 というのが聞こえた。みんなの視線がKに集中する。 なんだかんだあって、部屋が空いているという。当たり前だ、予約してきたんだと、雲行き怪しい。 部屋は二階の何とかの間だという。あれ?全員ホテルの個室じゃないの? またしてもKに視線が・・・ 案内もなく、荷物を持って二階に上がると、そこは宴会用のフロアで、でかい座敷が三つほどある。その内のひとつに僕たちは通されたのである。 みんな、期待が大きかっただけに、落胆も激しい。その部屋にはドアはなく、襖で他の部屋と仕切られているだけだった。まさかここに寝るんじゃないよね、と、Kに誰かが聞いた。Kは「きっと、部屋の準備が出来る前に僕たちが到着したんだよ」という。 じゃあ、とにかく麻雀をやろうということになった。パイを借りて、ついでにビールもと、フロントまで降りて頼むと、ビールはないという返事。ビールがないホテルなんてあるのか、オイ。 ワインならあるというので、何でもいいからよこせと、セロテープ親父にいって、白ワインを何本ももらってきた。 朝からワイン飲んで、麻雀なんて、随分と洒落てるねと、Kが言うが、だれも返事しない。 それじゃー、昼からゲレンデへ出て、滑ろうと言うことになった。 リフト一日券を買って一気に頂上へ。僕は初めての石打だったが、Kは子供の頃から何度も来ていて、スキー場のレイアウトは熟知しているという。何度もKを信用して痛い目にあってきた僕であるが、ここはKに任せて滑ることで全員一致した。 石打は競技スキーも開催される名門ゲレンデで、頂上近くに名物“大丸山”というこぶだらけの急斜面もあって、スキーマニアに人気が高い。しかし、この話しにはそんな高貴な話題は一切関係ない。 僕らは、頂上付近で行ったり来たりしながら楽しんだ。そろそろ夕刻も近くなり、ブルーシャトーへ戻ることになった。 僕は、この大きなスキー場をどう降りれば宿へたどり着くのかわからないので、Kについて行くことにした。Kはスキーが上手いので、遅れを取らないようバックルをしっかり締めなおし、さあ行くぞと顔を上げたら周囲にいた仲間が一人もいない。 何とか追いつけるだろうと飛ばしたが、仲間が視界に入ってこない。大丸山も自分では上出来な滑りで通過したところで、ゲレンデが左右に分かれている。“どっちから来たんだろう”と一瞬迷ったが、空いてて滑りやすそうな右へ進路を取った。 かなり降りてきたところで、どうも上り口と景色が違うことに気付いた。リフトの鉄柱の色と、リフトの座席の形が違うのだ。いけねー、間違えたと思い、色の違うリフト乗り場に並び僕の順がきて乗ろうとしたら、係員が「あー、これじゃ乗れないよ」という。なんだと思ったら、違うスキー場だという。えっ?石打じゃないの? おなじ石打でも、名前は忘れたが丸山と国際だったか、とにかく経営が異なるスキー場が隣接して、しかもゲレンデが繋がっているのだった。そんなことは露知らず、僕はよそのゲレンデに紛れ込んだのである。群れからはぐれた羊になってしまった。 先の係員にブルーシャトーへ帰るにはどうしたらいいか訊ねた。方法は二つ、リフト券を買って途中から丸山へ戻るか、ここから歩いて行くかだという。積雪の中を歩くのはしんどいので、リフトで上がると意思をつたえたところ、もう夕刻なので上がりきる前にリフトが止まるという。そんなら早く言えと怒鳴りたい気持ちをおさえ、ブルーシャトーの方角を教わり、涙の単独行に出発したのである。 スキー経験者ならお分かりの通り、ゲレンデ以外の雪は踏み固めれていないのでフカフカに柔らかい。体重でズボッと沈んでしまうのである。 石打の未開地も同様で、一歩ごとに僕の脚は膝上まで雪の中に潜るのであった。 一体どうしてこんな目に合う事になったんだろうと、疲労と空腹それに極度の寝不足で朦朧とする頭で考えた・・・Kだ、アイツを信用した俺がバカだった。 だんだん暗くなってきた。遠くに上越線が走るのが見える。もう前照灯を点けている。客車には大勢の乗客も見える。みんな帰郷する人達だろう。家族の団欒・・・いまの自分に最も縁遠い光景。 ブルーシャトーは行けども行けども見えてこない。しかも僕の周囲360度どこにも人影さえ見えない。空を見上げると、雲は晴れ満天の星である。 歩くのに疲れ、板を履いてみる。ズボッ・・・やはり潜ってしまう。万策尽き果てたとはこのことか。 振りかえってみると、スキーはけっこう辛い遊びであった。ゲレンデに行く前に骨折したり、友人のお兄さんが好意で貸してくれた四輪駆動車をスタックさせたり、Kがよく口にしていた“白銀の世界”とか“雪の恋人”とか、一体どこにそんなものがあるというのだ。 もう体力の限界だ。一歩踏み出すのにえらく時間が掛かるようになってしまった。 どれくらいの距離を進んだのだろう。方向は合っているのだろうか。 このまま、誰知れず、ひそかに遭難するのかもしれない。 “都会の美青年、孤独の雪山遭難、泣き崩れる友人と女性たち”まあ、こんな見出しだろうと考えていると、僕は奇跡的にもブルーシャトーの目の前に立っていた。 愛しのブルーシャトー、青い城、どう見ても未完成のまま放置された建築現場にしか見えないが、いまの僕にとっては城である。 疲労困憊で二階の部屋に上がる。ジャケットや帽子からしずくが滴り落ちる。きっと僕の栄光の帰還に、友人達は欣喜雀躍の大騒ぎになるに違いない。なんて応えようか「君達に会えることを信じて頑張った」と言えば喜んでくれるだろう。何人かは感極まって泣いてしまうだろう・・・ こんな感動の場面に相応しくないが、例の襖をそっとあける。最初に目があったのは歯医者だった。麻雀をやっている。そーか、そんなに待たせたのか、悪かったな―と思った。 歯医者と目があったが、あいつは無表情のまま僕から目をそらし、誰かが捨てたパイにてを伸ばして「チー」とか言っている。 チー?ほかに言う事ないのか?と思いながら襖をガラっと開けると、全員が僕に注目した。 今度はKが「あれー?どこ行ってたの? Bob はまだ滑ってるのか、好きだな―って話してたんだよ」 なんてことだ、俺はどこまで人がいいんだと思いながらふと見ると、世祓いが「ワシゃ役萬ふってぶっ飛んだ―」とか言いながら、窓を大きく開けて夜空に向かってションベンしているではないか。しかも、腰を前後に振りながら。 その目の前には、さっき遠くに見えた上越本線がゴーゴー音を立てて走っているのであった。 Copyright © Bobby's bar All Rights Reserved.
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| 2006-09-06 21:02
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