ITコーディネータ 針生徹 の blog |
成長欲求を叶える力 by にぶろぐ
私の捉え方はすごく低レベルで、「衣食足って礼節を知る」、ちがった、「人はパンのみにて生きるにあらず」くらいの意味でした。これは同じだね。ただそれを階層構造で順に登っていくと捉えると違ってきてしまう 。 以降ではマズローの「自己実現」などという言葉は使わず、ハリーさんが使われている「成長欲求」を使うことにします。あるいは「夢」といっても良いかもしれません。では、低次欲求は「欠乏充足欲求」とすることにしよう。 低レベルの欲求を自分の力で満たしていく上で身に付けた力が、上位レベルの欲求を実現する前提になっているのかもしれない。これでも違和感は残るなぁ。 ワシには欠乏充足欲求を満たす力と成長欲求は全く別物としか思えんのだ。 満腹になればそれ以上は食べられない。美味しい物や珍しい物を食べたいとかいう、さらなる欠乏は発生するだろうけど、基本的に欠乏は埋めれば解決、満足できる。 これに対して、成長はプロセスであり、その欲求も満足も客観的な尺度など無い。自分が実現できていると感じるかどうか、でしかないのだ。 だからその力の源泉も一人ひとり異なる筈で、これを欠乏充足と同じように、ある状態になれば満足だ、と定義しようというのは無理がある。そこがマズロー(と言うよりは動機付け援用派だと思うが)批判になっているのではないだろうか? sabretoothjapan さんのコメントでも、自己実現の例として「社長になる」「掃除夫になる」などが出されていたが、あれを読んだときも同様の違和感があった。 「成る」と「在る」の違いとも言えるかもしれない。欠乏は、何かに成るとか、物を得る、どこかへ到達する、ということで判定できるが、成長とは歩き続ける姿なのだと思う。 ワシは元々体育会系だからか、弛まぬ修練というプロセスを続けることに意義を見いだそうとしてしまうのだな。試合に勝つとか記録を出すってのは一つの目標であり結果でもあるんだが、レベルが上がるほどにセンスとか精神的な強さとかいう単なる体力・技術以外の物が要求され、そういう物は自分自身で創意工夫して気づくしか無く、それを会得してブレイクスルーできたときは、欠乏を埋めた満足とは比べ物にならないほど大きな喜びがあるし、さらにそれを続けたくなる。どこまで、という限界も自分が決めるだけである。 こういう成長欲求を満たそうとする力の源泉は、食い物を調達する能力とは根本的に異なると思うし、むしろ生きるのに邪魔なことさえある。食えない芸術家や研究者って沢山居るでしょ? 私がいいたかったのは、この「力」なのではないかと思う(まだちゃんと整理できていないので他人事みたいな書き方になっています、腹が据わってなくて申し訳ありません)。生きる上で工夫したり、想像力を発揮したりする必要がなかったら、そういう力を身に付けることができず、いざ自分の夢をもったときにどう実現させれば良いのか途方に暮れるのではないか。そして一部の人は最初の時点から挫折するのではないか。そしてそれは「成長欲求」を持っていない状態と区別が付かないのではないか、と思うのだ。工夫や創造力と言っても、限られたパイを奪い合うのと、自分が成長したり、より良き社会を創り上げていくのとでは、必要となる力は違うんじゃないかなぁ? 今の日本、生存や安全は一応満たされているが、勝ち組とか非常識、億万長者、金持ち父さん、プチリタイアなどの魅惑的な言葉が溢れ、承認や自尊心という欠乏欲求を煽っている。そんな中で晴れて勝ち組になれたとして、果たして成長欲求を満たす力も培われていると言えるのか? 逆に負け組は創意工夫の力が足りないなんても言えないだろう。そもそも収入の多寡や結婚、子供の有無などで勝ち負けを判定しようというのがおかしいし、そういう欠乏を埋める方法だけで言うのならばニートでも何ら問題は無い訳だ。 やはり成長欲求は欠乏充足欲求の延長ではなく、別の種類、異なる次元の欲求であり、それに応える力も方法も別の所から生み出されるのだとワシは思っている。 この後 yoshihiroueda さんは大前研一氏の記事を引用しているが、彼は勝ち組の権化のような人だとワシは思っているから、却って違和感が増幅してしまった。下記記事のガルブレイスの言葉の方がピンと来るなぁ。 語る:戦後60年の節目に/1 ジョン・ケネス・ガルブレイス from MSN-Mainichi INTERACTIVE ◆考え方を変える時だと思う。第二次世界大戦以降、世界は「経済学者の時代」だった。ある意味で必然的な話だ。人々が食料に困り、雨露をしのぐ住まいがなく、生活必需品を欠くような時に、最初に求められるものは経済的成功だからだ。しかし、いま、私たちは新たな段階を迎えている。どれだけ生産を上げられるかではなく、私たちが何をするかが重要になる世界の到来だ。教育、芸術、生き方……。そんな人間存在の基本となることの遂行だ。いずれにしても、「生きる力」としては、欠乏充足欲求も成長欲求のどちらも不可欠である。うまくバランスを図っていきたいし、こういう意見交換を通して自分なりに考え、書くという行為も、そういう力を養うことに大いに役立っているな。 さて、もう一方である、仕事もしなきゃ。
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| 2005-01-07 18:13
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